2010年1月20日水曜日

卒制終わったのに終わった気がしないのは展示してないから。

大都会TOKYOの波で荒んだ心をも溶かす愛のこもった
かったいクッキー、を友人に送りつけた
私は見てただけで、ほぼ末っ子同士が作ってくれた



人から聞いた話と、夢と、本で読んだ話を混乱して記憶してしまうので、ブログ始めると読んだ本はメモしてしまうわね。頭に入ってきた言葉を全部イメージに変換して覚えてるせいだと思う。


読了
「ビロウな話で恐縮です日記」 三浦しをん
我らが明日美子先生が表紙でした。エッセイおもしろベスト3に入る
ちなみに
1位 川上弘美
2位 穂村弘
3位 三浦しをん
かな。しかしエッセイについて思う事ありけり
「どうして書くの?」 対談集:穂村弘
を読んで。
以前から短歌にしろ、散文にしろ、文中に出てくる「私」=作者にしないでほしい、読者は「私」をノンフィクションと思い込みがち、てな事を作者は言ってて確かにそれは一理あるなと思っていたのだが、、、
この対談集を読んで混乱してしまった。

作者はエッセイも、フィクション、というか、創作としているようで、私はエッセイ=作者の本当の生活、プライベートな話だと思って読んでいた
∴「私」=作者inエッセイとしていたのだけど、穂村弘は違うっぽいんだな。作り上げた「作者」inエッセイで、だとするとなんのためのエッセイのくくり??と思ってしまった。図書館は小説とエッセイコーナで分かれています。んー?難しいな、エッセイで創作を書くのはおかしいとかじゃなくて、ちょっと混乱してしまった。
私はエッセイの中の穂村弘を穂村弘として思ってた。(菓子パンばっか食べている大人)んーそれが創作か創作でないのかを考えるのがナンセンスなの???それはそれ、で受け止めるべきなのかな??
とにかく、エッセイストの穂村弘が好きだったのに、それが創作だと思ってしまうような発言をこの対談集でしていたので、上記のランキングが変動した。+対談集読んでいると、やっぱりエッセイ中の穂村弘像と違っていた。あと川上弘美のが上手感が否めなかった。

そしてもともと対談集はあまり好きでない。読みにくいというか、本として、きれいじゃないからかな???昔から読む気にならない。というか、本じゃないからかな。対談集は。

でもプロの言葉に対する姿勢はやっぱり全然違って大変そうだと思った。あ!と古文読めるようになりたーい高校アメリカ強制のせいで古文あんまよめない('・ω・`)万葉集や古文で書かれた文献読めるようになりたいなす。いいテキストないかな。

と、円城塔の何とか譚の装丁が綺麗だったから今度読もうと思ってるのだけんど、純文学の定義なんぞ?ふわっとしかわからん。。
  • 大衆小説、あるいは小説一般に対して、商業性よりも「芸術性」・「形式」に重きを置いていると見られる小説の総称とされる。
  • 「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」
らしい!!!それを「純」とするんや。文学はアートなんね。小説家はアーティスト!
DAZAIは無頼派!!!かこいいことば!!安吾もねー安吾の部屋の汚さマックス好きだわ。
勝手に太宰さんランキング
1位 懶惰の歌留多 月から手紙の発想が恐ろしくロマンチックで不気味で綺麗で大好き、あとヴィーナスが結婚相手見つける話。
2位 古典風 ペーパーナイフ!あと終わり方が寂しいけどハッピー。みんな幸せにくらしたって泣ける。あー難しいな話としては相当好きだけど同率
2位 ア、秋 この人の発想が好きなんだなー私は。秋はずるいね。コスモス。私もノート作ろうかな
3位 満願 これは満願って言葉は仏教用語だけどこの言葉の美しさに参った。言葉に出会わせてくれてありがとうな話。でも?(なに否定)話の情景も綺麗に浮かぶ。あーでもあんま理解してないかも話自体。
でもでも女生徒きっかけで好きになってるからもちろん好き。基本的に全部短い話やなー

なが!!!!!!!!
今日は英語にしたくないからしない。


更に追記
東と西って全集スタイルの本気になってたんやけど、池田進吾発なんやね。めっちゃ装丁しまくってる人やね。しかし何故彼が??コンセプト?の

日本じゅうを言葉の力で縦横無尽に飛んでいく新しい小説集。日本には、まだ小説がある。
これも意味深やけどふわっとしててわからん。でもハードカバーのどっしり感が好感持てるんよねー。

以上!





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